まにまに音楽生活

よくある音楽、本、生活などについてのブログです。

R.I.P. David Bowie

まったく信じられないけど、1/10にデヴィッド・ボウイが亡くなりました。
 
最初はローティーンの頃に、ロッククラシックとして「ジギー・スターダスト」等の名盤から聴きはじめ、本格的にはまったのはポストパンク~80sリヴァイヴァルの頃。たしかナカコー経由で過去作~特にベルリン三部作を中心にを聴いていきました。新作もすこぶる素晴らしかった。残念でなりません。

その未来的な音像はいつまでも未来に有り続け、誰も追い抜くことはできません。
 
Rest In Peace。
しかしあなたに天国はよく似合う。

BEST TRACKS & ALBUMS 2015

ベストトラック&アルバムです。記事も書いてないのに。
どんどん新譜聴かなくなってますが、なぜか今年は毎週カウントダウンTV見る習慣がついてしまったので、引き裂かれています。できればあとでコメントを足したい。

まずはベストトラック10曲。順不同です。


1. Kendrick Lamar 「Alright」

2. Exo「Love Me Light」

3. Girl Band「Paul」

4. cero「Summer Soul」

5. OMSB「Think Good」

6. 井手健介と母船「青い山賊」

7. 加山雄三 feat. Punpee「お嫁においで 2015」 

8. 三代目J Soul Brothers「Summer Madness」

9. テニスコーツ「光輪」

10. Carly Rae Jepsen「I Really Like You」

 

続いてベストアルバム10枚。こちらも順不同。

 

1. cero「Obscure Ride」

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2.トリプルファイヤー「エピタフ」

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3. Girl Band「Holding Hands With Jamie」

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4.Sufjan Stevens「Carrie & Lowell」

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5.テニスコーツ「Music Exists disc.1」

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6.Kendrick Lamar「To Pimp A Butterfly」

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7.Jim O'Rourke「Simple Songs」

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8.僕とジョルジュ「S.T.」

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9.Deerhunter「Fading Frontier」

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10.OMSB「Think Good」

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昨年末のディアンジェロからの今年のケンドリックということで、ブラックミュージックによる新しい大きな潮流が全てをなぎ倒したように見えた2015年。それは、米国の、ジャズやブルーズあるいはそれ以前の音楽から地つづきの、こう言ってよければ「歴史」を感じさせるものでした。で、国内はというと歴史はほとんど無効。二次元と三次元の区別はつかなくなり、フラット化が進みすぎて、全ては組み合わせのセンスと、ポップセンス(距離感)の掛け算でしかないように見えてきまいました。

僕はもっと組み合わせを超越した、圧倒的な、圧倒的な個の才能が聴きたい。2016年は、テン年代の決定打(しかしおそらくは孤立する)となるであろう七尾旅人の新作を待ちたいと思います。

備忘録

備忘録です。

PUNPEE。今年いまのとこベストかも。


Beach Baby。

トリプルファイヤー。


Girl's Day。


Jesse Colin Young。

Deerhunter。

Billie Idle。

なんとなく、デイジー。

兵士Aくんの歌

七尾旅人Soundcloudにアップした新曲が素晴らしい。

911ファンタジアで想像された未来が、かなり最悪なかたちで到来しようとしている。あいつらには想像力が、ファンタジーが足りない。ついでにユーモアも。

cero『Obscure Ride』

Obscure Ride 【初回限定盤】

少し前の話になりますが、ここ最近、小沢健二『eclectic』に言及していたcero(というか高城晶平氏)が、前のシングルで『一つの魔法』をカバーしたとき、その出来そのものはともかく、「この曲を選択した」ということに妙に納得してしまいました。

なぜなら、この曲はオザケンのあの作品の中で、もっとも”当たり障りがない曲”だからです。あの作品の中で旧来のオザケンファンに唯一安心感をいだかせたこの曲は、ある意味であの作品の唯一のウィークポイントであり、わりと簡単に"さわってもよい"領域でした。だから、僕がceroのカバーを聴いて(逆に)感じたのは、新作―つまりこの『Obscure Ride』では、もっと『eclectic』の解釈について踏み込んでいるだろうな、ということでした。

『Obscure Ride』は、おそらくかなり沢山の人が思ったように、「あれ?間違って『Voodoo』かけちゃったかな?」というくらい、もろにディアンジェロなオープニングで始まります。続く既発シングルの「Yellow Magus」の、黒いリアレンジと併せ、「おいおい、かましてきたなー!!」という感じですね。

全体の雰囲気としてはダークでやや閉鎖的、夜の音楽といった趣で、これまでのceroとは明らかにムードが違います。近年の作品やライブにより予感されていたように、かなり濃いブラックミュージックマナーに、シティポップ、ラテン、ヒップホップ、ジャズ、トライバルなリズムなど、多様な要素がこれまで以上に高い完成度でまとめあげられています。

というと、昨今の渋谷系リバイバル云々を想起させますが、踏み込みが全然違います。最近、少なからぬミュージシャンが陥っているようにみえる、「ポップ」という言葉でなにもかもを許容する態度は、なるほど今日的なのかもしれませんが個人的には退屈です。そういう意味でも、冒頭にけだるく宣言される”Contemporary Eclectic Replica Orchestra”というキーワードは見逃せません。自らの音楽を「レプリカ」といってみせるのは、そういった(自らも含む)”渋谷系リバイバル”的な音楽への強烈に批評的かつ客観的なまなざしであり、だからこそもちろんceroだけはそこに留まらないという意志表明である、とも言える。

 

日本人のインディバンドであっても、ディアンジェロやケンドリック・ラマーら、あるいは(広義の)ソウル・ミュージックの巨人たちに比肩しうるサウンドを創造することは可能である。ceroがこの作品で示しているのはそういった矜持ではありますが、そういった「本物」を突き詰めれば、少なくともボーカリゼーションにおいてどうしようもない不可能性があります。つまり、他ならぬ高城晶平氏のボーカルの脆弱さ(下手だと言ってるのでも、技術がないと言っているのでも、魅力がないと言っているのでもありません。「根本的に」無理なのです。)がある限り、あそこに到達することはできない。そしてこれは、『eclectic』時に小沢健二に対してささやかれた言葉でもあります。

ここで重要なことは、確かに『eclectic』がコンテンポラリーなブラックミュージック~AORの文脈で強度のあるサウンドをもっていたとしても、本質はそこ(だけ)にはなかった、ということです。だって「eclectic=折衷的」なのですから。器に乗せられたものは何だったのか。おそらく問題は、小沢健二がそこにかけた魔法の方にある。ceroはどう挑んだのか。

『eclectic』の本質―『Obscure Ride』が抱えたテーマについて。ceroから示された回答を僕なりに解釈すると、それは「ここにいることの不確かさ」あるいは「ここではないどこかの予感」ではないか。

炎、夢、幻、双子、鏡。例えばそんなキーワードで、『eclectic』においては”あなた”(がいる世界)をめぐる非/現実的な感覚として。『Obscure ride』においては、様々なキーワードで示唆される彼方と此方の世界をめぐる感覚として。確かに自分(あなた)はここにいるのだけれど、いつからいるかわからないし、本当にいるのかわからない、あるいは、別の世界があるのかもしれない。それが例えば夢だとして、こちらが誰かがみている夢なのか、向こうが自分のみている夢なのかわからない。どちらともつかない揺れ動く、入れ替わる奇妙な感覚。「obscure=曖昧」な感覚。

『Obsucure Ride』において、ディアンジェロマナーの窒息的なリズムなど、全体に風通しのよくないサウンドが選択されているその理由は、この奇妙な閉塞感を引き寄せるためではないか。


そして「Ride」の部分。「どこかへでかける」という感覚もまた同様に重要かもしれません。「今夜はブギーバック」はもちろん、『eclectic』における生まれ変わりである「〜あの大きな心」においても主人公は夜、出掛けることで、物語がはじまります。そのとき自分はどこへ向かっているのか。Summer Soul=覚まそう。どちらが本当の世界かは曖昧に閉じています。


夜と朝の間にある白夜の時間、あるいは退屈なこの街と辺境のあいだ。あるいは、あるいは…。どこかとどこか、いつかといつかのあわい、『Obscure Ride』がぼんやりと指し示すのはそんなところです。そして、そこはもしかしたら20年前に”空中キャンプ”と呼ばれた場所なのかも知れません。

備忘録

備忘録です。

なつやすみバンド。

まさかの(?)メジャーデビュー。
トーキョーINIDIEからまんをじして、という感じが感慨深い。

Nature Danger Gang。


ぼく脳さんのファン。

菊地一谷(QN)。



ふぇのたす。



Kitty , Daisy & Lewis。



The Pop Group


○○年ぶりの新作、もここまで来たかと思うと感慨深い。

Phew



Swervedriver


○○年ぶりの新作、もここまで…(略)

Mourn。

松たか子



シャムキャッツ


彼らもメジャーでやってほしい。
小さい箱でも僕には彼らがローリング・ストーンズにみえる。

Blur


○○年ぶりの…(略)

戸川純は関係ない

のいづんずり、ノイズとせんずり、のいづんずり(字余り)。

というわけで、80sのそう長くはない期間活動した京都のアングラNEW(NO)WAVEバンド「のいづんずり」について。

リーダーである福田研(ex.アマリリス)を中心に京都で結成。日本の祭り囃子や民謡を独自の奇妙なファンク・サウンドに乗せたそのサウンドは、ファンクといっても黒さからは離れていており、コールド・ファンクというか、ジェームズ・チャンス辺りがちらつきます。また、”のいづ”というものの、ジャンルとしてのノイズはむしろ殆ど聴かれず、音数の決して多くないストイックである種ミニマルな音となっております。ただし、上に乗っているものはまぎれもなく変態、という具合です。

 

1985年発表のファースト・アルバム『抱擁』にはなんとあの戸川純が参加しており、それはしかも、彼女の全盛期と思われる時期に重なります。

抱擁

抱擁

 

 無理やり今で言うならば、neco眠る大森靖子が参加、という具合でしょうか。弱いかな?今のバンドに希薄なもので、当時のアンダーグラウンドのバンドが共通してもっていたのは、「暴力の気配」のようなものかと思いますので、そういう意味では、Nature Danger Gangに大森靖子参加、の方がしっくりくるかもしれないですね。

 

脱線しました。

 

重要なのは戸川純がこの作品に魔法を与えているか、ということですが、個人的にはまあいてもいなくてもいいかな、というのが正直な感想です。

 

というのも、のいづんずりの場合、元が強烈なので、戸川がエキセントリックな歌声を聴かせたところでそれほど強烈な存在感を示せてるわけではないからです(参加曲が多くないというのもありますが)。

 

さらに、のいづんずりの傑作はむしろセカンドアルバムである『人間は金のために死ねるか』。ファーストよりも言葉もサウンドも明らかにキレッキレの名盤と言えます(だからこそ逆に、ここに戸川がいたならばまた歴史は違っていたかもしれませんね)。 

人間は金の為に死ねるか

人間は金の為に死ねるか

 

その後、VOインドリ・イガミの脱退(というかクビ)によってあっけなくバンドは瓦解。その後、ギター担当のタバタミツル(当時の写真若い!)は、かのボアダムスに参加するなど、現在に至るまで精力的に活動を続けています。

 

もう一回言っときましょうか。

戸川純は関係ない。

だって、のいづんずりの方がヤバいから。