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まにまに音楽生活

よくある音楽、本、生活などについてのブログです。

小沢健二『Eclectic』のわからなさについて(頓挫)

今日、ふと思い立ってすごく久しぶりに小沢健二の『Eclectic』を聴きました。

Eclectic

Eclectic

 


そして、リリースから10年以上経過しているこのアルバムに対して、僕はいつもどおり混乱してしまったのでした。
混乱の理由は、確かに惹かれていながらも、この作品が「よくわからない」からです。

 

要素を取り出せば、なんてことはない作品のように思えます。
R&Bマーヴィン・ゲイ、端正な打ち込み、NY、AOR、艶、抑制、などなど。しかし、このような言葉を並べても、このアルバムを説明した気がしないのです。

 

『Eclectic』は2002年2月にリリース。
ミレニアム前後のシーンにおける小沢健二小山田圭吾への飢餓感はなんだかすごかったのを覚えています。オザケンに関しては、不在すぎてもはや神様みたいになっている今とは違って、皆が(まだ、普通に、)新作を待っていた気がします。

 

その前のアルバムは1996年の『球体の奏でる音楽』で、マーヴィン・ゲイのトリビュートアルバムへの参加(1999年)を別にすれば、活動休止(?)の直前のリリースは1998年1月のシングル『春にして君を想う』ということになります。そして、2002年『Eclectic』リリース。で、次の『毎日の環境学』は2006年のリリースです。

 

1998年の『春にして~』以前及び『~環境学』以降のオザケンのスタンスは大体一貫しているように思いますので、僕の認識ではこんな感じ↓になります。
 ≪1993年~1998年≫--- ≪2002年『Eclectic』≫---≪2006年~現在≫

 

うん。とりあえず、『Eclectic』は小沢健二のキャリアの中でもエアー・ポケットにある、少しばかり特異なアルバム、と言えます。

 

そして、内容についても同様のことが言えそうです。
このアルバムの音楽性は小沢健二のそれまでの作風とは(当時のファンがアレルギーを起こすほど)異なるのはもちろん、その後の作風にも踏襲されていないように思えます。2010年のツアー「ひふみよ」の際に、このアルバムから演奏されたのは「麝香」1曲だけである(行けなかったのでネット情報ですが)、ということからもそう言ってよいのではないか。

 

さらに言えば、後続の音楽家にもこの音楽性のフォロワーは見当たらない気がします。『LIFE』のフォロワーは(特に近年)うなるほどいると思いますが、『Eclectic』のフォロワーというと首を傾げてしまいます。

 

接続されない音楽。
うーん、でもそれは結果としてです。
やはり「わからなさ」の正体がわかりません。
(僕個人の「わからなさ」なので誰かに説明してもらうこともできません…)。

 

極端なメディア露出の少なさ、妙な構成、言葉の選ばれ方…いくつも気になる要素はあります。

上記のようなやや異常と言える状況から、僕がこの作品を過度に神秘化してしまっているという線も否定しきれません。

 

頓挫しました(笑)。

 

とりあえず、僕は、『Dogs』よりも、『LIFE』よりも(!)、『Eclectic』が傑作だと思っており、それはこの「わからなさ」によるもののような気がしている、ということを記しておきます。