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まにまに音楽生活

よくある音楽、本、生活などについてのブログです。

岡崎京子展 『戦場のガールズ・ライフ』

世田谷文学館で開催されている、岡崎京子展『戦場のガールズ・ライフ』をみてきました。 

岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ

岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ

 

展示会の入口、そこから続く長い年表には、岡崎京子の生誕した年から2015年現在までの出来事が記されています。1996年、例の交通事故についての記載。当然ながら、それ以降の彼女の純然たる新作というのは、存在しません。それから約20年。

 

長すぎる不在。

 

しかし、本当に岡崎京子は不在だったのか、とふいに思います。年表に戻ると、事故後も、発刊含め彼女についてのトピックはほとんど途切れずに今年まで供給され続けています。(今年の項には「シャルリ・エブド事件」についての記載があり、少しばかり緊張が走ります。)

 

長すぎる不在?

 

僕は彼女のライトな読者なので、カルチャー強者(そのミーハーさとスピード感は、さらに戸川純を透過して、初期の椎名林檎を思い出させたりもします)である彼女と、時代を壮絶に表現した彼女は知っていましたが、「女性同士の友情」を描き続けた彼女は知らず、この展覧会においてはそれが新鮮な観点に映りました。リバーズ・エッジの後のセクションにそれが配置されていることも、やたらと高い位置から彼女を地上へと降ろしてあげる試みにもみえたりして…。そんなことを含め、展覧会全体が、女の子の「ライフ」について多面的にみつめた岡崎京子を表現している、ということはとても重要に思われます。

 

にもかかわらずなんですけど、この展覧会をみて、それでもやはり、それでもやはり岡崎京子は『リバーズ・エッジ』なのだ、と思いました。

 

時代にひとつ大きな楔を打ち込んだ表現は、ゆっくりと色褪せることを義務付けられるものです。そして、この作品が発表された90年代半ばと現代とでは、当然ながら様々なことが違っています。

 

例えば、20年前よりさらに僕らはどうしようもなく子供だということ(岡崎京子が不在だったこの約20年の間はちょうどインターネットの隆盛と重なると思いますが、それによって、菊地成孔が言うように僕らは退行しているのかもしれません)。あるいは、20年前よりさらに僕らはどうしようもなく平和ボケしているということ。など。


それにもかかわらず。なぜなんでしょう。1994年に発表された『リバーズ・エッジ』の表現の密度、読み手に突き付けてくる強度は、いまだに色褪せていないように思われます。

 

「平坦な戦場で僕らが生き延びること」

 

この作品が射抜いてしまったものが、あまりに本質的だったということでしょうか。

 

そもそも、「色褪せてない」という言葉は適切でないようにも思えます。「まだ、僕らは依然としてここにいる」、とでもいった具合。

 

この作品以降の岡崎作品に漂う圧倒的な凄みは、漫画表現のひとつの臨界ですらあるように思えます。

 

そして、たいへんに不謹慎ではありますが、(事故があろうがなかろうがですが、)臨界に差し掛かった以上、その後彼女が、「不在」になってしまったことに正直違和感は感じないのです。例えばそれは、佐藤伸治を思い出させたりもして…。

 

さて、最後にやはり、小沢健二に想いを馳せざるを得ません。1996年ごろに活動のスタンスを少しばかり変え(たようにみえ)、その後長い不在に入った彼の頭には、やはり岡崎京子のことがあったのだと思います。

 

そして、その長い不在により、彼は結果的に、何か運命的なものを「回避」したようにもみえてきました(かなりあやしい話になってきましたね笑)。この展覧会のガイドブックに寄稿された、彼の相変わらず素晴らしい文章を読んでいたら、そんな、極めて眉唾な、不在と運命とポップカルチャーについての関係、なんてことを考えてしまったのでした。

 

”何度も君の名前を呼ぶ / 本当の心捧げて呼ぶ / 

この愛はメッセージ / 僕にとって祈り /僕にとって射す光”

小沢健二 / 戦場のボーイズ・ライフ)